我々ヒトの正常な体温がおおよそ36.0℃から37.0℃くらいであることは、多くの方が知っているかと思います。
受精卵や細胞は37℃で培養します。
インキュベーターでは体温と同じような温度で細胞を培養します。
犬や猫、ウサギなどでは38℃〜39℃とヒトより少し高めで、鳥は40℃くらいとかなり高めです。
逆にカエルやカメなどは20℃〜25℃くらいと低めですが、環境の温度に大きく左右されます。
このように、生物の種類によってその体温は大きく差があります。
これは体内の細胞単位でみたときも同じです。
細胞を培養する際には、その生物の体内の温度をより正確に、安定的に維持することがとても重要になります。
哺乳類の細胞を培養する場合の多くは、インキュベーター(細胞の培養機器)の温度設定は37℃です。
インキュベーター庫内の温度は37℃が基本です。
庫内(CH1~5)は37℃で安定しています。
庫外(CH10~12)が20℃でも庫内は37℃
それは哺乳類の持つ酵素(タンパク質)の高い活性が見込めるのが37℃だからです。
ではそれ以外の温度では細胞にどんなことが起きるのでしょうか。
1.タンパク質の変性
細胞内の重要なタンパク質や酵素は、適切な折りたたみ構造を保つことで正常に働いています。
高温になるとこれらのタンパク質が変性し、折りたたみが崩れ、機能を失います。
みなさんは2008年にノーベル化学賞を受賞した下村脩先生が発見されたタンパク質「GFP(Green Fluorescent Protein)」をご存知でしょうか*1?
GFPを持った細胞(左上)を青色光(中央)で観察すると緑色の蛍光(右下)が確認されます。
このGFPには立体的な構造があるために、青色の光を受けることで緑色の蛍光を放出するという特徴がありますが、温度が高すぎると立体構造が崩れ蛍光を放出しなくなることが知られています*2。
(左)GFPの立体構造は37℃では安定した蛍光を放ちます
(右)温度が高くなると立体構造が崩れ蛍光を放たなくなります。
これは非常に深刻な事態です。
いままで緑色に光っていた細胞が見えなくなってしまいます。
このような事態は、温度を下げれば元通り蛍光が戻るのでしょうか?
答えはNOです。
なぜそのようなことになるのでしょうか?
例えば、卵料理を思い出してみてください。
生卵の白身は透明ですが、茹でたり焼いたりすると真っ白になりますよね。
これを冷蔵庫で冷やして元の透明な白身に戻るか、と問われたら、答えはNOです。
さっきのGFPも同じです。
高温によってタンパク質の立体構造が壊れてしまうと、蛍光を放つことができなくなります。
そして、一度壊れた構造は、温度を下げても元には戻りません。
*1:The Nobel Prize in Chemistry 2008(ノーベル財団公式サイト)
2.細胞膜の破壊
細胞膜は脂質とタンパク質からできており、適度な温度範囲内で柔軟に働きます。
しかし、過度の高温は脂質の流動性を変化させ、膜の構造を壊したり、細胞内の物質が漏れだすことがあります。
これにより、細胞内外の物質の流れが乱れ、細胞死を引き起こします。
37℃では適切な流動性を持っていますが、高温になると流動性が変化します。
3.ミトコンドリアのダメージ
細胞の中で様々な反応を手助けするためのATP(エネルギー分子)を作り出すミトコンドリアも高温に弱く、ダメージを受けるとATPの生成が妨げられます。
これが細胞全体の機能低下につながります。
細胞中のミトコンドリアなど*3
(緑色:ミトコンドリア, 青色:DNA, 赤色:細胞骨格)
*3:Image by D. Burnette & J. Lippincott-Schwartz / NICHD, NIH – CC BY 2.0
4.DNAやRNAの損傷
高温は核内の遺伝情報を保持するDNAやRNAにもダメージを与えることがあります。
これにより、DNAの損傷(遺伝情報の破損などにつながる)や突然変異が生じる可能性があります。
以上の状態を総称して「熱ストレス」といいます。
細胞はどのようにして熱ストレスに対応するのでしょうか。
細胞は、自分の周囲や内部の温度変化を感知し、適切に反応するための仕組みを持っています。
この分子レベルの温度感知システムを温度センサーと呼びます。
温度センサーが高温を感知すると、細胞は自身を保護するために様々な反応を引き起こします。
代表的な反応としては、次に紹介する熱ショックタンパク質(HSP:Heat Shock Protein)の誘導をはじめ、様々な反応を通して細胞は熱による損傷から自身を守ろうとします。
・熱ストレス応答
高温にさらされたとき、ヒートショックタンパク質(HSP)が誘導され、変性したタンパク質の修復や分解を促します*4。
これによって、細胞の損傷を最小限に抑えます。
・温度感知と信号伝達
温度や化学物質、機械的刺激などの多様な刺激を感知する細胞の「センサー」として機能するタンパク質としてTRP(Transient Receptor Potential)チャネルというものがあります。
その中の温度感受性TRPチャネルは高温を感知し、細胞内へのカルシウムイオンやナトリウムイオンの流入を引き起こします*5。
これにより、細胞内のシグナル伝達が始まり、高温への適応や防御反応が促されます。
・抗酸化反応の誘導
熱ストレスによって生じる活性酸素による酸化ストレスを防ぐために、抗酸化酵素(例:スーパーオキシドジスムターゼ)が増加します。
・細胞死の回避と修復
過剰な熱からのダメージを受けた細胞は、アポトーシス(プログラムされた細胞死)により除去される一方で、修復できる細胞は自己修復を行います。
*4:藤本充章, 中井彰. 熱ストレス応答による恒常性維持の機構. 生化学. 2009;81(6):465-473
*5:富永真琴, 温度感受性TRPチャネル. 漢方医学. 2013; 37(3):164-175.
1.酵素の働きが鈍くなる
酵素は適切な温度範囲内で最も効率的に働きます。
低温になると酵素の動きが遅くなり、化学反応の速度が著しく低下します。
これにより、エネルギー産生や代謝活動が滞ります。
2.細胞膜の硬化・脆弱化
寒さによって細胞膜の脂質成分が固くなり、膜の柔軟性が失われます(流動性が低下します)。
イメージとしては、柔らかいバターが冷蔵庫に入れておくとカチカチになるのと同じようなものです。
これにより、細胞への物質の出入りが妨げられる他、膜を介した情報伝達が正常に機能しなくなるといった、本来細胞が持っている機能が損なわれます。
3.水分の凍結や細胞破裂
極端に低い温度では、細胞中の水分が凍りつくことで体積が増えてしまい、細胞内の水分結晶が細胞膜を破壊してしまいます。
(細胞内には様々な物質が溶けているので、0℃よりも低い温度で凍結しはじめます)
例えば、ペットボトルの飲料水をそのまま冷凍庫で凍らせるとパンパンに膨らんで、最悪破裂することがありますよね。
(私もこどものときに、よくジュースを凍らかして怒られたものです)
同じ現象が細胞で起こる、というイメージです。
これにより、細胞が死滅するケースもあります。
4.代謝の低下とエネルギー不足
低温によって代謝が鈍くなると、体が必要とするエネルギーの供給が追いつかず、細胞の活動が停止したり、死に至ることもあります。
高温下での反応と同様に、低温にも細胞の温度センサーは反応して、細胞を守ります。
低温下で細胞を保護するために、さまざまな戦略が働きます。
・防御タンパク質や低温耐性タンパク質の誘導
魚類では抗凍結タンパク質(AFPs:Anti Freezing Proteins)などが合成され、氷の結晶の成長や細胞内の水分結晶化を防ぎます*6。
ヒトをはじめとした哺乳類ではHSPが機能し、低温による障害を抑えます。
・脂質の組成調整
細胞膜の脂肪酸の種類を変え、柔軟性を保ちます。
不飽和脂肪酸を増やすことで、膜の流動性を維持し、硬くなるのを防ぎます。
・凍結防止剤の蓄積
両生類や爬虫類、植物や微生物では細胞内にグリセロールや糖類(例:スクロース)を蓄積することができます
これらは凍結できる水(自由水)と結合することで水の量を減らしたり、水が凍結する温度(凝固点)を下げることで氷の結晶(氷晶)の形成を抑えます。
*6:津田栄, 新井達也. 不凍タンパク質の構造と機能. 低温科学. 2023;81:51-60.
「あれ?でもよく人工授精なんかで卵子や精子の冷凍保存なんて聞くけど、どういうこと?」
という疑問を持つ方もいるかもしれません。
実は、きちんとした手順を踏むことで、低温による細胞へのダメージを最小限に抑えて、長期保存することができるのです*7。
*7:今松伸介. 霊長類ES/iPS細胞の凍結保存. バイオサイエンスとインダストリー. 2012;90(9):552-553.
1. 徐々に温度を下げる
急激な冷却を避け、徐々に温度を下げていきます。
これにより、氷の結晶が細胞内に形成されるのを最小限に抑えます。
2. 抗凍結剤(凍結防止剤)の使用
特殊な化学物質(抗凍結剤)を加えることで、氷の結晶化を抑えたり、結晶のサイズを小さくしたりします。
代表的なものは有機化合物の一つであるジメチルスルホキシド(DMSO:DiMethyl SulfOxide)やグリセロールなどです。
代表的な凍結防止剤であるDMSO
※他にも高濃度の糖(スクロースやキシロースなど)や有機化合物の一つであるポリエチレングリコールなどを用いることもありますが、この場合は急速に凍結させる処理が必要です。
3. 低温保存装置の制御
プログラムフリーザーといわれるコンピューター制御の冷却装置を使い、一定の速度で徐々に温度を下げていきます。
これにより、氷の結晶化をコントロールし、細胞へのダメージを最小化します。
※プログラムフリーザーの代わりに特殊な液体により徐々に冷却できる容器を冷凍庫に置くこともあります。
1分間に1℃ずつ下げることができる特殊な凍結容器
4.液体窒素の使用
最終的には液体窒素(-160~196℃)を利用することで、細胞の代謝活動をほぼ完全に停止させ、長期間の保存を可能にします。
細胞は液体窒素で保管が可能です。
マイナス160から196℃で保存します。
細胞は金属の棒(ケーン)に固定されて保管されます。
5. 凍結と解凍(融解)の工程を慎重に行う
凍結している細胞を解凍する場合は、急速に温度を上昇させて融解させます。
これにより、細胞への損傷の原因となる氷晶を形成する温度帯(約-20~0℃)を一気に通過させ、細胞へのダメージを抑えることができます。
凍結細胞の融解にはウォーターバスが使われます。
フロートにチューブを置きます。
フロートの上で短時間(1~2分)置いて融解させます。
温度によって細胞(タンパク質)には様々な影響が出ます。
哺乳類の細胞は最適温度よりも高温や低温ではさまざまな影響を受けます。
高温になると、タンパク質が変性しやすくなり、細胞内の酵素や構造蛋白の働きが乱れるため、細胞の機能障害や死滅するリスクが高まります。
また、細胞膜の流動性も増加しすぎて膜破壊や透過性の異常を引き起こすこともあります。
逆に、低温になると、酵素反応が遅くなり、代謝が低下します。
さらに、膜の脂質が硬くなり、細胞の柔軟性や輸送機能が損なわれます。
長期間の低温暴露は、凍結や細胞死を引き起こす可能性があり、動物の適応には抗冻蛋白質や防御シグナルの活性化が必要です。
つまり、どちらの極端な温度も細胞の正常な働きを妨げ、細胞を培養する際には致命的な要因となるのです。
今回は哺乳類の細胞を例にとって、細胞培養と温度の関係について紹介しました。
実際に細胞を培養する際には、意図しない温度変化による影響を避けるため、インキュベーターなどの恒温装置が用いられます。
これにより、温度が一定に保たれ、細胞にとって一番活性の高い環境を保つことができるのです。