インキュベーターの結露・カビの発生について

細胞培養において、インキュベーターはまさに「細胞のためのあたたかくて快適な家」ともいえる大切な存在です。

インキュベーターは細胞にとって「あたたかくて快適な家」ともいえる存在です

安定した温度・湿度・CO₂濃度を維持することで、細胞が本来の機能を発揮し、再現性の高いデータにつながります。

ですが、このように高度にコントロールされた環境であっても、思わぬ落とし穴が潜んでいます。

その代表が、結露とカビの問題です。

一見すると些細なことのように思えるかもしれませんが、放置すればカビをはじめとする様々な微生物による汚染や、装置トラブルを招いてしまい、研究の遅延など深刻な問題に発展しかねません。

この記事では、結露やカビが発生する理由から日常でできる予防・対策法まで、現場目線でわかりやすく紹介していきます。

なぜ結露が起きるのか?

結露は、インキュベーターにとって避けがたい現象です。

とはいえ、条件によってその発生頻度は大きく異なります。

結露発生のメカニズム

インキュベーターの庫内(チャンバー)は、多くの場合は細胞の培養に適した温度・湿度(約37℃・湿度95%以上)に保たれています。
※培養容器が密閉されている、ミネラルオイルが培地に重層されている、など特殊な場合を除きます。

このとき、庫内に向かう内扉の開閉によって庫内よりも低い温度である室温の外気が急に流れ込むと、庫内の空気中にある大量の水蒸気が急速に冷やされます。

このとき、水蒸気は空気中にとどまっていられず、飽和状態を超えた分が液体の水となって現れます。

温度が下がると水蒸気(気体)が水(液体)となって現れます。

つまり、空気が冷やされて「もうこれ以上、水蒸気を保てない」となった瞬間に、冷たい面に触れた水分が水滴として付着するのです。

インキュベーターを使っているとき外扉を開けっぱなしにすると、内扉(チャンバーに向かうドア)が冷やされてしまい、内扉のチャンバー側に大量の水滴ができてしまいます。このように周囲より温度が低くなりやすい場所に水滴が発生しやすくなります。

内扉のチャンバー側に結露が発生

チャンバー内の水蒸気が結露

これは、冬の朝に窓ガラスが曇ったり、夏に冷たい飲み物を入れたグラスが濡れてくる現象とまったく同じです。

冷えた液体をグラスに注ぐと…

グラス表面に無数の水滴(結露)が発生します。

さらに、インキュベーター内は湿度が高いため、水蒸気の量も多く、少しの温度差でも結露が発生しやすい環境といえます。
下にある画像は、インキュベーターの外扉を長時間にわたって開けた後のチャンバー内の様子です。

温度差により結露が発生しています。

金属表面だけでなくゴムパッキンにも結露します。

とくに空調を効かせた夏場や、何度もドアを開け閉めする状況では、外気との温度差が大きくなるため、結露の頻度と量も増加する傾向があります。

湿度を高く保つ理由

そもそも、インキュベーター内の湿度はなぜこれほど高く保たれているのでしょうか?

その理由の一つは、CO₂などのガスを培地へ効率よく届けるためです。

ほとんどの培養フラスコやディッシュは完全に密閉されているわけではなく、ガス交換のためにわずかなすき間があります。

培養容器は密閉されていないものがほとんどです。

フタ裏に突起(赤色矢印先)があることですき間ができます。

そのため、蒸発による乾燥を防ぎ、pHの安定を保つために90~95%といった高湿度環境が維持されています。

加湿用の水はあらかじめ滅菌しています。

加湿用の水をチャンバー内に設置して加湿します。

湿度の体感イメージ

この湿度の高さは、日常生活に置きかえると雨が降った日やお風呂場のような空気感に近いといえます。

雨の日は湿度100%近くになります。

お風呂場も入浴中は湿度100%近くになります。

こういった湿度が高い環境に温度差があると、そこの部分に結露が発生してしまいます。
よく梅雨時に冷蔵ショーケースの表面が結露しているのは、このためでもあります。

冷蔵庫の冷気が扉を冷やすことで結露が発生。

結露はこまめに拭き取って清潔に保ちます。

インキュベーターのチャンバー(庫内)は加湿水によって高湿度環境が維持されていますので、わずかな温度差で結露が起きても不思議ではありません。

結露が招くリスク

こうして発生した結露は、水たまりや水滴としてインキュベーター内に滞留します。

内扉に外気を当て続けると結露し始めます。

庫内に温度ムラ(温度差)があると結露しだします。

そこにもし空気中から微生物が入り込んでいれば、栄養分(例:こぼした培地や手垢など)と高湿度に支えられて、あっという間に繁殖してしまいます。

結露した庫内の棚板を微生物検出用にサンプリング

微生物が存在していることが確認されました。

結露は、ただの「水」ではなく、汚染の足がかりとなる可能性があるのです。

カビはどこからやってくるのか?

「カビが生えるなんて、清潔に保っているはずなのに…」と驚く方も多いかもしれません。

ですが、カビの胞子は空気中に常に存在しており、完全に排除することは容易ではありません。

カビの胞子は非常に小さく、空気中を常に漂っている自然の一部です。

日常的な環境の中に普通に存在しており、特別な異常がなくても、研究室内の空気、外気との出入り、人の衣類、手指、髪の毛、さらには物の表面など、あらゆるところに微量ながら付着しています。

インキュベーター内を素手で触れてしまうと…

カビなどの微生物が生える原因となってしまいます。

インキュベーターのドアを開けたとき、ほんのわずかな隙間からでもカビの胞子は入り込みます。

白衣やグローブをしていても油断大敵です。

内扉を開けるときは慎重に。

一見清潔に見える環境でも、高温多湿なインキュベーター内はカビにとって絶好の繁殖条件です。

そのため、「カビは入り込んでしまうもの」と考えたうえで、日頃からの予防と早めの対処が重要になります。

カビが発生しやすい条件

カビをはじめとする様々な微生物は、以下のような条件で発生しやすくなります。

  • 適度な温度・高湿度・栄養源(例:こぼれた培地、皮脂や有機物汚れ)が揃っている場合
  • 加湿水が加湿トレイ内に長期間滞留し、交換や清掃が不十分な場合
  • ドアパッキンや棚板のすき間など清掃が行き届きにくい箇所が存在する場合

特に注意したい「見えない汚れ」

インキュベーターの内壁や加湿バット(トレイ)、棚のつなぎ目などに残った微細な汚れは、カビをはじめとする微生物にとって絶好の繁殖場所です。

特にカビの場合、目に見えるカビが出てくる頃には、すでに胞子があちこちに飛び散っている可能性もあります。

実験への影響は?〜コンタミネーションの怖さ〜

結露やカビを「ちょっと不快」「掃除すれば済む」と軽く考えてしまうと、実験結果の信頼性を大きく損なうことになります。

カビや細菌によるコンタミネーション(汚染)の影響

  • 培養している細胞が異状を示し、目的の解析ができなくなる。
  • 微生物に汚染された細胞を破棄し、改めて培養を再開する必要がある(コスト・時間の損失)。
  • 他のサンプルへの汚染のリスク(汚染が他の培養容器へ広がる。クロスコンタミネーションとも言われる。)
  • 長期的には、研究室の衛生レベルや管理体制そのもの、さらには研究成果への信頼を失うことにもつながる。

細胞培養は、繊細でコントロールが難しいプロセスです。

そのなかで一度でもコンタミネーションが発生すれば、それまで積み上げてきた作業やデータが一瞬で無駄になる可能性もあるのです。

すぐに実践できる!結露・カビの予防法

①ドア開閉の工夫

  • インキュベーターの外扉・内扉を開ける回数や時間を最小限に抑える。
  • ドア(外扉・内扉)を開けたままにしない。
  • ドアのパッキン部の結露をこまめに拭き取る。

外扉・内扉を全開にしたままにしないでください。

パッキン部分の結露はこまめに拭き取ってください。

②湿度管理と加湿バット(トレイ)の見直し

  • 加湿用の水は滅菌されたものを使用する。
    ※水としては蒸留水や精製水の使用を推奨します(水道水は推奨しません)。
  • 加湿バット(トレイ)の加湿水は週1回程度、全量交換を推奨します。
    ※新しい加湿水を事前に37℃近くへ加温しておくことを推奨します(交換に伴う湿度低下を防ぎます)。
  • 加湿バットを洗浄する際、すすぎは念入りに。洗剤残りがないように注意してください。
    ※洗浄方法は各メーカーの取扱い説明書に従ってください
  • 加湿水に抗カビ剤などを設置することも有効です。
    ※抗カビ剤の使用期限にご注意ください。

オートクレーブ滅菌した加湿水

加湿バットには滅菌水を加えてください。

加湿水用の抗カビ剤の使用も効果的です。

③定期的な清掃と点検

  • 棚板、チャンバー内壁、ドア、通気口などを定期的に全面清掃する。
    ※乾熱滅菌機能付きの場合、清掃後に乾熱滅菌することを推奨します。
  • 庫内の消毒はインキュベーターに適した方法でおこなう
    ※70%エタノールや専用殺菌剤など、取り扱い説明書に記載されているものを使用してください。
  • フィルター取り付け部や、パッキンなどの細部のカビチェックも忘れずに
    ※集塵フィルターをご使用の場合は耐用年数にお気を付けください。

取扱説明書に従って清掃してください。

パッキンにも汚れがあります。

ワイパーにエタノールを噴霧して清掃を。

④インキュベーターの機能(UV殺菌や乾熱滅菌など)の活用

  • UVランプによる殺菌機能を持つ機種では、定期的な点検を推奨します。
  • 乾熱滅菌機能を持つ機種では、チャンバー内の清掃後に乾熱滅菌をおこなうことを推奨します。
  • 庫内の清掃と一緒に、温度やガス濃度の点検も併せておこなうことを推奨します。
    ※定期メンテナンス契約やバリデーション(性能を検証し文書化すること)などのサービスを提供しているメーカーを活用することも、安全かつ安定した運用につながります。

⑤結露防止のちょっとした工夫

  • インキュベーター内の温度分布をできるだけ均一に保つ(詰め込みすぎない)。
  • 冷たい器具や培地を直接庫内に入れない(室温に戻す、または十分加温してから)。
  • 棚の配置を工夫して、空気の流れが遮られないようにする

庫内の気流を乱さないように配置してください。

積み重ねができる容器は正しく置いてください。

もしカビなどが発生してしまったら?

カビといった微生物の発生に気づいたら、すぐに対応することが重要です。

応急処置と対応の流れ

  1. 使用中止と隔離
    そのインキュベーターの使用を一時中止し、他の培養物との接触を避けます。
  2. 使用していた溶液類の確認
    培地やPBS(細胞洗浄のための溶液)、酵素溶液といった培養作業に用いた溶液類が、カビなどに汚染されていないかを確認します。
    ※溶液を共有して使用している場合は、特に注意が必要です。
  3. 清掃と拭き上げ
    消毒剤でカビの発生源を拭き取り、器具や棚をすべて取り外して徹底清掃します。
    ※清掃方法は必ず取扱説明書を参照してください。
  4. 培養中のサンプルは原則破棄
    微生物による汚染の被害を受けた可能性のある培養物は、オートクレーブなど適切な処理をおこなった上で廃棄します。

汚染されたものはオートクレーブへ。

オートクレーブされると着色する特殊なバッグ

トラブルを未然に防ぐ「ちょっとした気配り」

インキュベーターの結露やカビは、ほんの少しの油断から生まれます。

でも、それを防ぐ手段もまた、日々のちょっとした気配りから始まります。

細胞にとって理想的な環境を維持することは、研究者自身の安心と信頼につながります。

清潔なインキュベーターは、細胞が健やかに育ち、研究がスムーズに進むための「土台」といえるでしょう。

日々のルーティンに、「インキュベーターの健康チェック」も加えてみませんか?

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この記事を書いた人
株式会社アステックでiPS細胞や動物の胚(受精卵)を使って、「こんなの見たことない!」と言われるような新しい細胞培養システムを日々開発中。博士(学術)と技術士(生物工学)の資格持ちだが、肩書きよりも実験とアイデア勝負が好き。 趣味は自転車、料理、ジョギング。いつか宇宙での細胞培養を目指して、日々の業務では神経細胞を、休日は自転車競技で筋肉細胞を鍛えている研究員。