インキュベーターの中では何が起きている?~加温方式の違いをじっくり解説~

細胞培養や受精卵(胚)培養など、温度や湿度、CO₂といったガスの濃度など培養する環境の管理が実験の成否を左右するようなシーンで欠かせないのが、「インキュベーター」です。

培養中のiPS細胞
培養中のMSC(間葉系間質細胞*)
培養中の神経細胞株

(*:MSCの呼称は「Mesenchymal Stromal Cells(間葉系間質細胞)」で統一する声明が日本再生医療学会より提出されました。2025年5月29日付け)

細胞が健やかに育つ環境を整えるためには、温度や湿度、CO₂濃度などを適切に保つ必要があります。

その中でも、今回の記事で注目するのは、「温度管理」

そして、この温度管理に深く関わっているのが、インキュベーターの「加温方式」です。

設定温度37.0℃としたときのチャンバー内温度(CH1から5)

現在、よく使われている加温方式には、「ダイレクトヒート型」「ウォータージャケット型」の2種類があります。

それぞれの特徴を知っておくことで、用途にぴったりのインキュベーターを選びやすくなります。

この記事では、両者の仕組みや利点、注意点をわかりやすく解説し、どんな実験にどちらが向いているのかを詳しくご紹介します。

ダイレクトヒート型とは?

ヒーターで直接加温、スピーディーな温度調整が魅力

「ダイレクトヒート型」は、その名の通りヒーターが庫内に直接熱を伝える仕組みです。

チャンバーに向かってヒーターが配置

インキュベーターの壁面に内蔵されたヒーターが稼働することで、チャンバー(培養槽)内部の空気を素早く加熱します。

ヒーターを直接見ることはほとんどありませんが、チャンバーの外側を取り囲むように配置されており、チャンバー内部に温度ムラが起きないよう精密に制御されています。

またヒーターは前面の扉にも配置されていることがあり、チャンバー内の加温の他、内扉のチャンバー内側への結露を防ぐ役割も果たしています。

この方式の最大のメリットは、温度の立ち上がりが非常に速いことです。

装置起動後の温度変化イメージ(縦軸は温度。横軸は経過時間)

たとえば、ディッシュやフラスコを取り出すときに扉を開けると一時的にチャンバー内の温度が下がりますが、ヒーターがすばやく作動することで短時間で設定温度へ復帰します。

こうしたレスポンスの良さは、扉を開ける回数が多めな作業(たくさんのディッシュやフラスコへの培地交換や継代作業など)にはとてもありがたい特徴です。

また、ヒーターがチャンバーを取り囲むよう全面に配置し、しかもそれらは精密に制御されているため、チャンバー内の温度分布が均一になります。この結果、チャンバー内での結露の発生が抑えられ、結露によるチャンバー内の湿度低下を防止するといった利点があります。

機種によってはヒーターの加熱によりチャンバー内を高温にしてカビや酵母などの微生物を死滅させる乾熱滅菌をおこなうことも可能です。

さらに、次に紹介するウォータージャケット型と比べると構造がシンプルとなるため、チャンバー内の清掃といったメンテナンスが簡単となります。製造コストも抑えられることから安価となりやすいことも魅力の一つです。

構造や性能の特徴をまとめると…

  • 壁面に内蔵されたヒーターが直接庫内を加温
  • 温度の立ち上がりが早く、応答性が高い
  • 結露の発生を抑えやすい設計
  • シンプルな構造でメンテナンスがしやすい

メリット

  • スピーディーな温度調整が可能
  • コンパクトかつ軽量なモデルが多く、装置を移動しやすい
  • 乾熱滅菌機能を搭載可能(衛生面でも安心)

デメリット

  • ウォータージャケット型と比べると、チャンバー内の温度均一性や湿度がやや劣る
  • 温度の保持力(保温性)はウォータージャケット型と比べるとやや劣るため、長時間の停電などには注意が必要

こんなシーンにおすすめ

  • 設置スペースに制限がある(豊富なサイズバリエーションで対応可能となることも)
  • チャンバー内の清潔度を高く保ちたい(メンテナンスのしやすさと乾熱滅菌でより清潔に)
  • チャンバー内の空気の流れを抑えたい(強制対流用のファンが無いモデルもあります)

ウォータージャケット型とは?

水の持つ「安定性」で、じっくり温度をキープ

一方、「ウォータージャケット型」は、インキュベーターの外側にジャケット水(水の層)を設け、その水を温めることで間接的にチャンバーを加温する方式です。

ジャケット水を介してチャンバー内を加温

この構造の最大の強みは、水が持つ高い比熱容量(熱を蓄える容量。水は空気よりも熱を蓄えやすい)と、熱伝導性(熱の伝わりやすさ。水は空気の約23倍あります)により、チャンバー全体の温度を均一に保てることです。

これにより温度変化が緩やかで、熱を広く均等に伝える性質を持ちます。このため、チャンバー内の温度分布に偏りが生じにくく、位置による温度差を最小限に抑え、結露の発生を極限まで抑えることが可能です。

この方式の最大のメリットは、高湿度環境を長期間維持できることです。

そのため、培地交換をしない長期の培養培地中に放出された成分を分析する(庫内湿度が高いため、培地蒸発による成分濃縮が抑えられる)といった用途に適しています。

また、長時間の扉開閉や停電などの緊急時でも、ジャケット水が蓄えている熱によって急激なチャンバー内の温度低下を防ぐため、安心安全な培養環境を提供します。

温度変化に対する復帰速度イメージ(縦軸は温度。横軸は経過時間)

構造や性能の特徴をまとめると…

  • ジャケット水を通じて、チャンバー内へ間接的に温度を伝える
  • 高い保温性と熱伝導性を持つジャケット水がチャンバーを囲んでいる
  • チャンバー内は均一に加温され、温度分布の偏りが小さい
  • 停電などの突発的な事態でのチャンバー内の温度低下が、ダイレクトヒート型と比べると緩やか

メリット

  • 高い湿度環境を維持することが可能(チャンバー内の結露発生が抑えられている)
  • チャンバー内の温度変化が緩やか(比熱容量の高いジャケット水がチャンバーを囲んでいる)
  • 長期培養に最適な穏やかな温度制御

デメリット

  • ジャケット水があるため、ダイレクトヒート型と比べると本体の重量が大きい
  • 水の高い比熱によりチャンバー内温度は安定しますが、その反面、温度変更の反映に時間がかかる

こんなシーンにおすすめ

  • 長期間にわたる培養(播種から安定した増殖まで時間を要する初代培養やスフェロイド形成など)
  • 培地中に放出された物質の定量試験をおこなうための培養(高い湿度が培地蒸発による成分濃縮を防ぎます)
  • 万一の停電や室温の変化などによる影響をできるだけ避けたい環境

ダイレクトヒート型とウォータージャケット型:じっくり比較

比較ポイントダイレクトヒート型ウォータージャケット型
熱の伝わり方直接的
(壁側にあるヒーターによる加熱)
間接的
(ジャケット水を介した加熱)
応答性高い
(素早く変化)
低い
(緩やかに変化)
温度の安定性安定極めて安定
急激な温度変化の影響受けやすい受けにくい
構造シンプル
軽量
ジャケット槽やセンサーがあるため複雑
重量は大きくなる傾向
メンテナンス乾熱滅菌が可能・比較的容易ジャケット水の管理が必要
適した用途清浄性を重視した培養安定性を重視した培養

どちらを選べばいい?目的と環境に合わせて考えよう

「ダイレクトヒート型」と「ウォータージャケット型」、この二つの加温方式のどちらかが一方的に優れているというわけではありません。

それぞれにしっかりとした強みがありますので、培養の目的や使用環境に応じて、適したタイプを選ぶことが重要です。

たとえば・・・

  • 「素早い温度復帰」や「乾熱滅菌による高い清浄性」を重視するならダイレクトヒート型がおすすめです。
  • 「長期の培養」や「外部環境の影響を最小限に抑えたい」場合にはウォータージャケット型が適しています。
    播種後しばらく培地交換ができない初代培養や、スフェロイド培養では特におすすめです。
凝集する前の細胞集団
凝集し始めた細胞集団
細胞は徐々に凝集していく
凝集が進みスフェロイドとなる

さらに、実験室の設置スペースや電源環境、停電リスクなども、選定時の重要な判断材料になります。

  • 限られたスペースや装置機起動後の素早い立ち上げを重視するならダイレクトヒート型
  • 温度変化の大きい環境や停電リスクを考慮する場合はウォータージャケット型
扉開閉後の温度変化イメージ(縦軸は温度。横軸は時間)
装置立ち上げ時の温度変化イメージ(縦軸は温度。横軸は時間)

このように、目的や状況に合わせてインキュベーターを選ぶことが、培養の安定性や再現性の確保につながります。

おわりに:あなたの研究を支える「最適な1台」を

インキュベーターは、温度やガス濃度、湿度などを管理するだけの簡単な装置ではありません。

それは、細胞がすくすく育ち、再現性の高いデータを得るための、いわば「小さな生命環境」そのものです。

加温方式の違いを正しく理解することで、あなたの研究や培養の目的に本当に合ったインキュベーターを選ぶことができます。

もしもインキュベーター選びに迷ったときは、メーカーや販売店といった専門業者に相談するのも一つの方法です。

総合的な提案を得意とするメーカー
インキュベーター選びに迷ったらご連絡ください

そうすることで、万一のトラブル発生時に迅速で的確な対応ができる信頼性の高いメーカーを選べるだけでなく、培養設備全体の装置レイアウトや運用までを視野に入れた総合的な提案を受けられる可能性もあります。

選んだ1台が、これからの研究をしっかりと支えてくれる心強いパートナーになりますように。

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この記事を書いた人
株式会社アステックでiPS細胞や動物の胚(受精卵)を使って、「こんなの見たことない!」と言われるような新しい細胞培養システムを日々開発中。博士(学術)と技術士(生物工学)の資格持ちだが、肩書きよりも実験とアイデア勝負が好き。 趣味は自転車、料理、ジョギング。いつか宇宙での細胞培養を目指して、日々の業務では神経細胞を、休日は自転車競技で筋肉細胞を鍛えている研究員。