細胞の研究や培養の現場において、適切な環境を整えることは非常に重要です。
そのために欠かせないのが「インキュベーター」です。
「細胞研究」や「培養」には、数えきれないほどの種類があります。
その多種多様な条件を整えるため、インキュベーターに求められる機能は多岐にわたります。
インキュベーターには種類があることは知っていても、どんな機能や違いがあるのかを正確に把握できている人は少ないのではないでしょうか。
ここでは導入編として、インキュベーターの構造と機能に注目し、それぞれの仕組みについて解説していきます。
インキュベーターの主な役割は、細胞や胚などの生物材料を安定して培養するために、一定の環境を維持することにあります。
培養では、具体的には以下のような環境的な要素が関係します。
・温度
・湿度
・清浄度
・二酸化炭素(CO₂)濃度
・酸素(O₂)濃度
これらの環境条件を正確に制御・維持するために、インキュベーターにはさまざまな方式や構造上の工夫が施されています。
同じ環境を提供する装置であっても、温度の加熱方式やガス供給の仕組み、センサーの種類など、いくつかの観点から分類することができます。
今回は、それらの分類について、代表的なものを中心にわかりやすく整理してご紹介します。
ダイレクトヒート型インキュベーターは、培養容器が置いてあるチャンバー(庫内)を直接加熱することができる方式のインキュベーターです。
具体的には、ヒーター(加熱素子)がチャンバーに接触しており、そこからチャンバー内の空間へ熱を供給します。
[特徴とメリット]
高い温度制御精度:直接加熱することにより、温度の均一性と安定性が高くなります。
素早い温度調整:ヒーターが直接チャンバーを加熱するため、チャンバー内の温度変化に対して迅速に対応できます。
シンプルな構造:構造がシンプルとなるため、製造コストを抑えることができ、メンテナンスも容易です。
清浄環境の維持:乾熱滅菌機能によりチャンバー内を清潔に保つことができます。
また扉開閉からの温度復帰が比較的早く、チャンバーへの培養容器などの出し入れ頻度が多いユーザーに向いています。
低価格で軽量なモデルが多く、乾熱滅菌機能を搭載したモデルでは高い清浄環境を作り出すことができます。
[留意点]
ウォータージャケット型に比べて熱容量が小さいため、外気温の変化や扉の開閉による温度変動の影響を受けやすく、チャンバー内の温度が一時的に低下しやすい傾向があります。
ウォータージャケット型インキュベーターは、チャンバーの外側が加熱された水層(ウォータージャケット)で囲まれており、その水をヒーターで温めることで、チャンバー内の温度を間接的かつ安定的に保つ方式です。
[特徴とメリット]
均一な温度分布:水は熱を効率よく伝えるため、チャンバー内部の温度が均一に保たれやすく、局所的な温度ムラが生じにくいです。
安定した温度制御:水の熱容量が大きいため、外気温の影響などによる温度変動が少なく、長時間安定した環境を維持できます。
温度調整の柔軟性:モデルによっては冷却機能を備えており、より広範囲の温度設定が可能です。
高い温度均一性と安定性が求められる培養に適しており、長期間にわたって培地交換をおこなわない培養系に向いています。
停電などの緊急時でも、水が熱を蓄えていることで急激な温度低下が抑えられるため、細胞などのサンプルへのダメージを最小限にとどめることができます。
[留意点]
熱安定性に優れる反面、装置全体が重くなる傾向があります。また、密閉構造であってもジャケット水は徐々に減少するため、定期的な補充が必要です(おおよそ数年に一度程度)。
加湿式インキュベーターは、チャンバー内の湿度を高く(90%以上)保つための仕組みを備えたインキュベーターです。
[特徴とメリット]
チャンバー内に置かれた水槽(バット)からの自然蒸発や、加湿器などにより内部を高湿度に保ちます。
これにより培地の蒸発が抑えられ、培地成分の濃縮(浸透圧の上昇)による細胞などへのダメージを防ぎます。
[留意点]
チャンバー内の温度分布が不均一になると、結露が発生する原因となります。外扉を長時間開けたままにしたり、温度の低い物(冷蔵保管していた培地など)をチャンバー内に持ち込むことは避けてください。
加湿用の水(通常は滅菌処理した超純水または蒸留水)は、定期的に交換して清潔な状態を保ち、常に水が十分に入っていることを確認してください。
加湿トレイの水が少ない、または空の状態で運転を続けると、湿度低下により細胞などへダメージを与えたり(培地成分の濃縮による浸透圧上昇)、各種センサーが正常に動作しなくなるおそれがあります。
ドライ式インキュベーターは、チャンバー内を加湿しない状態で培養を行うインキュベーターです。
[特徴とメリット]
ドライ型インキュベーターはチャンバー内を加湿しない構造を採用しています。
そのため水バットや加湿器が不要となり、構造がシンプルで清掃やメンテナンスが容易となり、長期運用における管理負担が軽減されます。
またチャンバー内を加湿しないため、高湿度の環境を好む微生物の繁殖が抑えられます。
なおチャンバー内には伝熱性の高い水蒸気が少なくなるため、温度分布のムラを抑えるには、ヒーターによる精密な加熱制御が必要となります。そのため、加湿型インキュベーターに比べて制御系が複雑になり、コストが高くなる傾向があります。
[留意点]
チャンバー内に加湿機構を持たないため、培地からの水分が蒸発しやすくなります。
この水分蒸発が進行すると、培地中の成分が濃縮され、それに伴って浸透圧が上昇し、培養している細胞や胚にダメージを与えるおそれがあります。
そのため、以下のような水分蒸発の抑制策を講じることが重要です。
①培養容器のフタをしっかりと閉じる
②ミネラルオイルで培地表面を覆う
③密閉容器を使用する
ただし、培養容器の密閉性を高める場合には注意が必要です。
二酸化炭素(CO₂)は培地のpH維持に不可欠であり、酸素(O₂)は細胞の代謝・生存に必要です。密閉によってこれらのガス交換が制限されると、細胞培養に悪影響を及ぼす可能性があります。
そのため、ガス透過性に優れたフィルムやフィルターを使用するなど、ガス供給との両立を考慮した対策が必要となります。
乾熱滅菌とは、器具などを高温で一定時間加熱することにより、微生物やその芽胞(熱に耐久性のある休眠状態の細胞構造)を不活化・死滅させる滅菌法です。
[特徴とメリット]
適切な温度と時間を確保すれば、理論上すべての微生物を完全に死滅させることが可能です。
また、薬品や水蒸気を用いず、加熱のみで滅菌を行うため、作業工程が非常にシンプルで扱いやすいという特徴があります。
[留意点]
乾熱滅菌は高温に耐えられる素材に向いており、金属やガラス製品には比較的適しています。しかし、プラスチックやゴムの中でも高温に弱いものには使えません。
さらに、水分があると加熱時に水蒸気の圧力が発生し、器具や乾熱滅菌をする場所にある装置が壊れたり変形したりする危険もあります。
また、滅菌する物に水分が残っていると、加熱中に水が蒸発して温度が安定しにくくなり、熱が均一に伝わらないため、滅菌効果が下がることがあります。
集塵フィルターとは、非常に目の細かいフィルターでチャンバー内の空気中に含まれるカビの胞子やホコリなどの小さな粒子を捕まえる器具です。
[特徴とメリット]
培養容器を取り出すために扉を開けたりすると、インキュベーターの外の空気がチャンバーの中に入ります。
チャンバー内はファンによる強制対流や、ガス供給や加熱に伴う自然対流によってチャンバー内の空気は常に動いているため、空気中の微粒子も一緒に動くことになります。
そういった微粒子が原因となってチャンバー内の清浄度が低下することが起こります。
空気の通り道に集塵フィルターを置くことで、空気の中に含まれるカビやホコリなどの微粒子を捕まえ、チャンバー内を清潔に保つことができます。
[留意点]
集塵フィルターは消耗品ですので、定期的な交換が必要です。
さらに、水分があると加熱時に水蒸気の圧力が発生し、器具や乾熱滅菌をする場所にある装置が壊れたり変形したりする危険もあります。
インキュベーターの持つ機能ではありませんが、チャンバー内を定期的に清掃することが清浄な環境を保つために重要となります。
棚板や棚板受け(レール)、加湿水用のバットやサイドパネルなどの取り外しが容易な機種であれば、清掃作業がはかどります。
チャンバー内にある棚板や棚板受けなどは、必要に応じて乾熱滅菌の他、消毒効果のある液体を噴霧して拭き取る方法も有効です。
[留意点]
①水道水ですすぐとミネラル分が残留してしまい、汚れの原因となる可能性があります。
②チャンバー内にセンサーが出ている場合は、洗浄に用いている液体が触れるなどしてセンサーの故障や性能劣化を招く恐れがあります。
③消毒用アルコールをはじめとする揮発性有機化合物を使用すると、その残留成分が細胞培養に悪影響をおよぼすことがあります。
洗浄については各インキュベーターの取扱い説明書を十分にご理解いただき、また場合によってはサービスマンからのアドバイスをもとに作業をおこなってください。
CO₂センサーは、インキュベーター内の二酸化炭素濃度を測定するための装置です。
細胞培養や微生物培養において、適切なCO₂濃度(一般的には5%前後)を維持することが重要です。
CO₂濃度をリアルタイムで監視し、必要に応じてガス供給や排気を調整します。
IRセンサーとは、二酸化炭素濃度を測定するために、二酸化炭素分子が特定波長の赤外線(InfraRed:IR)を吸収する性質を利用して濃度を測定できるセンサーです。
[仕組み]
IR(赤外線吸収式)CO₂センサーは、赤外線を出す光源と受光部を備えた構造で、その間をガスが通過します。
CO₂は特定の波長の赤外線を吸収する性質があるため、CO₂濃度が高いほど、受光部に届く光の量が減少します。
この減少量をもとにCO₂濃度を算出します。
CO₂分子の特異的な光吸収を利用するため、他のガスや湿度の影響を受けにくく、安定性と精度に優れた測定が可能です。
[特徴]
①温度や湿度の影響を受けにくい。特に無加湿となるドライインキュベーターでの正確な濃度測定に適しています。
②センサーによっては自動校正(オートキャリブレーション)が可能です。
③複雑な構造となるためT/Cセンサーと比べると割高となります。
T/Cセンサー
T/Cセンサーとは、二酸化炭素(CO₂)濃度をガスの熱伝導率の違いを利用して測定するセンサーです。
[仕組み]
T/Cセンサーの内部には、サーミスタのような温度検出素子が組み込まれており、この素子は周囲のガスと熱をやり取りすることで温度が変化します。
空気中に含まれる各種ガス成分はそれぞれ異なる熱伝導率を持っており、特に二酸化炭素(CO₂)は熱を伝えにくいという特性があります。
そのため、センサー内部を通るガス中のCO₂濃度が高くなると、素子から外部への熱の逃げ方が弱まり、その結果として素子の温度がわずかに上昇します。
この温度変化を電気信号として検出し、CO₂の濃度として換算するのがT/Cセンサーの基本的な仕組みです
[特徴]
①IRセンサー以前から利用されており、多くの実績がある。
②IRセンサーと比べると構造が簡単であるため割安となります。
③温度や湿度の影響を受けやすいため、温度(37℃)・湿度(95%以上)を維持した環境下で測定する必要がある。
このタイプのセンサーは、ガルバニ電池(電池の一種)を利用して酸素濃度を測定します。
酸素がセンサー内の電極に到達すると、電解液の化学反応により電流が流れ、その電流の大きさから酸素濃度を算出します。
[特徴]
①酸素濃度計として古くから利用されており、多くの実績がある。
②構造がシンプルであるため割安となります。
③内部の電解液は徐々に劣化するため定期的な交換が必要となります。
このタイプのセンサーは、ジルコニアに代表される酸素イオン伝導性のセラミック材料を用いて酸素濃度を測定します。
セラミック素子は酸素イオンを通す性質があり、異なる酸素濃度のガスが両側に存在すると、酸素イオンが移動し、それに伴って電圧が発生します。この電圧の大きさから酸素濃度を算出します。
[特徴]
①ガルバニ式よりも新しい測定原理で、安定した環境下での高精度な酸素濃度測定が可能です。
②急激な温度・湿度変化に弱い場合があり、使用中に電源を断つとセンサーが損傷する恐れがあります。
③セラミック素子のほか貴金属電極を含む場合があり、割高となる傾向にあります。
このタイプのインキュベーターは、あらかじめ所定の濃度で混合されたガス(例:6% CO₂ / 5% O₂ / 89% N₂ など)を供給する方式を採用しています。
[特徴]
①インキュベーター内でガス濃度を調整する機構がないため、濃度センサーの校正が不要です。
②ガス混合ユニットを内蔵しないため、装置の構造がシンプルでコンパクトです。
③使用するガスはあらかじめ濃度が決まっているため、インキュベーター側での濃度変更はできません。
ガスミキシング型
このタイプのインキュベーターは、外部から供給された複数のガス(例:CO₂、O₂、N₂)を、インキュベーター内で希望の濃度に混合して使用する方式を採用しています。
[特徴]
①複数のガスボンベ(例:CO₂、O₂、N₂)を接続し、インキュベーター内で任意の濃度に調整する機構を備えています。
②必要に応じてガス濃度を変更できるため、低酸素・高酸素など多様な培養条件に柔軟に対応できます。
③濃度制御機構やセンサーを内蔵しているため、構造が複雑で装置がプレミックス型よりも大型化し、定期的な校正も必要になります。
インキュベーターには多様な機能と構造があり、それぞれに特徴があることをご紹介しました。
実際の装置では、たとえば「加熱方式はダイレクトヒート型」・「加湿型」・「乾熱滅菌あり」・「CO₂濃度測定はIRセンサー」・「O₂濃度測定はガルバニ式酸素センサー」・「ガスミキシング型」といったように、これらの要素が組み合わされて構成されています。
今回は導入編として、インキュベーターを構成する基本的な要素や分類の考え方に焦点を当てました。
目的や培養対象に応じて適切なインキュベーターを選ぶことが、再現性や成果に大きく影響します。
今後、それぞれのインキュベーターや各種機能の詳細についても順次ご紹介していきます。
インキュベーターを検討するときの参考となれば幸いです。